明治期に北海道へ移住した人の多くは、廃藩置県によって拠り所をなくした士族(武士)でした。明治政府の殖産興業政策は、時代の変革により職を失った彼らを救済することにも繋がりました。北海道に限らず、全国的にみても元武士が果樹農家へ就農する例はこの時期に多く、日本においては、西洋果樹栽培の黎明期ともいえます。開拓使の官園では、育成した苗木を配布し、生産者を増やす役割も持っていたため、こういった転身を後押しし、生産者を増加させることでも、殖産興業の推進を図りました。 また、内務省でも明治7年からフランスからりんごを輸入し、各県へりんご苗木の無償配布を通達します。これにより、東北地方を中心に全国へりんご栽培が一層広まることになりました。このように、明治政府は近代化を推し進める中で、果樹栽培に新たな産業の可能性を見出したのです。