明治7年、北海道開拓使によってアメリカから75品種が導入され函館郊外において苗木の増植がおこなわれました。
壮瞥には明治13年にりんご300本が配布されました。その後、本格的に栽培されるようになったのは、明治19年にアメリカに留学していた橋口文蔵氏(札幌農学校初代校長-現北海道大学)が、壮瞥に農場を開設し、りんごづくりの指導にあたりました。この入植当時に植えられたと言われる壮瞥町最古のりんごの木は今も「浜田園」に現存しています。
当時は管理も不十分なため、粒も小さく味も良くなかったようで「石りんご」と呼ばれ壮瞥に農場を開設していたくらいです。
しかし、先人の努力により、明治30年頃にはりんごを中心にして梨、梅、さくらんぼ等が栽培されるようになりました。明治35年の記録では、りんご2,940本、梨120本、さくらんぼ48本となっています。昭和新山の噴火による降灰、有珠山噴火等、幾多の苦難を乗り越えて、今では果樹農家が30件以上に増え、道内有数のくだものの産地として知られるようになりました。