もともと日本には、和りんごがあり食用とされていました。これらは奈良時代に中国から渡来したと言われており、現在のりんごとは種類が異なり小粒のものでした。
日本における最初の西洋りんご栽培の地は、北海道七飯町と言われています。
1867年にプロシア(ドイツ)から来日した商人のR・ ガルトネルは日本に農場を開設したいと考えました。未開地が多かった北海道に西洋式農法によって開墾をすすめたかった箱館奉行の思惑と一致したこともあり、ガルトネルは農地を借りることに成功しました。
ガルトネルは少なくとも数種類の品種を持ち込んだとされていますが、品種はヨーロッパ種のりんごだったのではないかと言われています。これらのりんごは政府が明治初期開設した七飯官園に引き継がれ、政府によってアメリカやフランスから導入され、全国に配布されたのですが、気候的に適した北海道・東北地方・長野などに定着し、現在の産地を形成するようになりました。
当時導入された国光や紅玉は和りんごに比べ大型だったため、和りんごとではなく西洋りんごと呼ばれていて、明治以来800余種が導入されています。現在栽培されている大部分は、外国品種を改良して日本で育成されたものです。
明治期に黎明をむかえたりんご栽培は、明治後半期から各地に果樹組合を成立させ、生産・出荷などが組織化していく一方で、新たな品種の輸入も盛んに行われました。また、より地域の風土に合うように品種改良も進められ、それにより、新たな品種も生み出されてきました。ところが、昭和初期には戦争の影響で、りんごは不急作物とされ全国的に作付面積が減少し低迷期をむかえます。しかしながら、高度成長期に入るとスピードスプレイヤーの導入や、矮化栽培の普及といった新たな技術を取り入れて、 再び活況を取り戻しました。しかし、そこに至るまでには、先人たちの苦労や努力があり、培った経験が次の世代に引き継がれているのだろうと想像します。